内側から得る学びは深い
毎日書く予定が2日もまた空いてしまいました。
昨日は土曜で練習はお休みだったので色々と日本に持ち帰るものを選んだりビーチでのんびりしたり。早起きしなくて良い朝も満喫。
2日前の金曜の練習後に先生から、日曜からインターミディエイトをするようにと言われました。通常最初の週はプライマリーなのでまだ3日しかしてないし日曜もプライマリーをするつもりだったのでキョトンとする私。
えっいいの?とまず思いましたが、練習時期が限られているから配慮してくれたのか、それとも練習は日曜から1週間スタートのカウントだからかな?と色々考えてしまいましたが、まぁやるしかない。
最後にインターミディエイトしたのはスコットランドへ行く前だから1月の前半・・・
旅の期間は色んなことを言い訳に緩めの練習しかしてなかったので、3日間のプライマリーからのインターミディエイトは正直かなり大丈夫かな・・・感が拭えず昨夜はドキドキしながら眠りにつきました笑。
でもでもこの”緊張してる”のはなんでだろう?
とその感覚を深掘りしました。色んな理由が出てくるけど結局全部他人軸だと気づいたので
その緊張は捨て去りました。
自分が感じている感情に目を向けて理由を深掘りすることはありますか?
何気に感じてしまう感情だったり、いつもの感情でもそこには無駄な思い込みがあったり、不要な概念があったりすることがあるので自分の心の反応にはいつもできるだけ繊細になるようにしています。
でもこれって簡単な作業ではなくて、練習で集中力が疎かだったり、自分ではなく他人に意識が向いていることが多い状態だとこの自分を内観する力を養うことも難しい。
個人的に毎日の朝の練習は、これから始まるマットの外での1日の中で、
しっかり自分自身を内観する力をつけるための時間という気がしています。
そんな気持ちで朝シャラに到着し練習開始。
先生と前回練習した時は、①ハーフプライマリーからインターミディエイトに入りピンチャまででしたが、今回は自分の日本の練習が②パールシュヴォッターナーサナからインターミディエイトに入るフルセカンドの用のショートカットにしていたので、かなり迷いましたが体力にも自信がなかったので②の方でやろうと決めました。ダメなら先生から止められるだろうと。
そしてパシャーサナに入っても何も指示がなかったのでそのまま進めて行きました。
深い後屈も痛むと伝えていましたが、カポタも一応自分で踵掴んで起き上がるとスーッと先生が来ました。
あっ、これはもう一回アジャスト付きでやるやつや・・・と正直ビビりました。
そして2度目、先生のアジャストでダイレクトキャッチの流れに一瞬で身体が強ばりました。
加えて、先生に身体を委ねずに自分で踵を探そうとしている自分も。
気がついた瞬間、すぐに探すのをやめて肩周りをスーッと抜き全てを先生に委ねました。
そうすると自分で踵を探していた時の苦しみは消えて、こんなに簡単に掴めるの?と呆気なくアサナに入れました。
ホールド中はいつもより少し深い後屈に腰への恐怖心が湧き上がってきたのもすぐ感じました。
その恐れのエネルギーが腰に集中していくのも感じたのでそこへの意識を胸を開くことへとシフトさせました。
胸がグッと開く感覚に瞬間的に吐き気を催したけれどすぐに腰の詰まりはなくなりいつもとは違う感覚のカポタでした。
さっきも書いた内観。これがポーズの最中も落ち着いてできると色んな発見があります。
カポタの後もいくつか痛みからできないと決めつけていたアサナがありますがこれも今日は全てやりました。
そのアサナも先生はすっとアジャストをしてくれて、いつの間にかできていました。
痛いからやめとこう・・といつもはしていたけれどいざやってみたらできたし終わった後も痛みがない。
この今日の練習で、痛みのある時の練習対応について改めて考えさせられました。
これはほんと人によるし状況など色んな要素があるから一言では言えないけど。
痛みがある中でできる範囲でやることによって気づきがあったのでしばらくはやろうと思います。
ほんとに痛みがすごい時はやらない・避けるも一理あり、でも私のように慢性的な痛みは身体的な痛みに加えて恐れが作り出した余計な痛みも加わっているかと思えてくる瞬間が多々ありました。
安心して身体を任せられる先生がいるここではできる限り私はやろうと今日思いました。
痛みを避けてやらないようにしてたらこれには気がつけなかった。
現に今練習終わった後も痛くない。。。
今日の練習後のお話で
動画などで学ぶことは勧めない、それぞれに向けた具体的な学びは自分の練習・経験から得れるからと、本当にそうだと思った。
明日の筋肉痛はやばそうだけどしばらくインダーミディエイトの旅を楽しみます❤︎
身体のどこの部位が痛いのか、どのアサナが難しいか全て伝えていたので、時間をかけて呼吸してゆっくり進めるようにとも言われました。