最近の大きな気づき

読んでくれている皆さんこんにちは!

全然マメじゃない更新にも関わらずこうやって毎日アクセスしてくれてる人がいるのは本当にありがたい。読んでくれた人の人数だけがわかるシステムです、それ以上の詳細は一切不明なのですがありがとうごさいます♡


前回何を書いたかさえ自分で忘れていて、今この記事を書く前に読み返しました笑。

そして今、私の練習状況は完全にセルフプラクティス(宅練)になっています。

宅練になった経緯やきっかけは色々複雑にありますが、今日はその中の理由のひとつでもある、

自分の苦手と向き合いたかったから。について書こうかな。


アシュタンガヨガに出会った時からありがたいことに家の近くにシャラがあるという環境だったのでシャラで練習する事が当たり前だったわたしですが、2019年のゴア帰国後から宅練をする機会が増え始めました。

2020年のゴアでシャラが閉まった時も完全に宅練していた期間はほんの数日でだいたいは一緒に住んでいた生徒たちと練習。


その時のメンバーは長年のプラクティショナーなんですが、全員自分の国では宅練だよーと言っていて、

すごいなぁ〜精神力あるなぁ〜かっこいなぁと思いつつ、でも私には出来ないわぁ〜宅練嫌いやし。

で済ませていました。


でもそこから頭の片隅には

“宅練出来ない私”をどうにかしたいというのがチラチラ。

それも見ないふりをしながら、帰国後シャラで練習していました。


そこから色んな事や自分の気持ちの変化があって、半ば自分の意思で始めたわけではない宅練だけど、しばらく続けていくうちに、


いつまでも、宅練出来ないってヘラヘラ言ってる自分が嫌だ、四年以上ちゃんと練習しているのにシャラが無いとしっかりした練習が出来ないというマインドはどうなんだろう?という感情が生まれてきて、この自分の弱いところを克服してやろうという目的が生まれてきたんです。


語弊を生みたくないから補足しておくと、これは決してシャラで練習している人が弱いとか甘えてるとか言ってるわけではないです。

シャラで練習できることは素晴らしい事!!


ただ、

①シャラじゃないと練習出来ないからシャラで練習する。

②1人でもしっかり練習できるけども、家よりもエネルギーが整った空間、そして知らぬ間についた変な癖を見てもらったりシャラでしか味わえない他の練習生のエネルギーを感じてより良い練習をする為にシャラで練習する。

この①と②は自分の中で大きく違うものだと、宅練を通して気がつきました。


もう一つ。誰かに見てもらわないと練習できない。についても気がついたこと。


その気持ちは時々“その誰かのための練習”

になってしまうのではないか?とも思い始めました。


今日は本当はここで練習をストップしたいな…でも先生が見ているからやっている方が良さそうだ。とか他の練習生はあんなに頑張っているから…。


どこで練習をやめていいのがアシュタンガヨガですがその場の雰囲気で無理してしまったりした事はありませんか?

ない人はしっかり自分の意思、自分の気持ちを優先させているので全然いいと思いますが日本人気質だとついつい無理してしまう人も多いんじゃないかな?と思います。


それによっていい意味で頑張れる時もありますが、本当に自分がどうしたいのか?が分からなくなりやすいです。

周りからこんな風に見られたいから頑張ろう!は自分の本当はココで休みたい。本当はこうしたい。を無視してしまう事もあるのでは…?


宅練では見る人も自分。見られているのも自分。

自分のエネルギーで自分を引き上げてアジャストするのを毎日学んでいます。

終わった後には自分との信頼関係がグッと深くなりますし、自分との関係性を育むプロセスも楽しんでいます。


ゴアにいた時にオンラインで参加したピーターサンソン先生のカンファレンスで、聞いた事がグッと腑に落ちました。

素直に嬉しい。


そしてひとまわり強くなったら、次にシャラで練習する時は前以上に、シャラを整えて開けてくださっている先生やエネルギーで引き上げてくれる練習生に、より一層感謝して練習できるだろうし、また練習がより素晴らしく感じると思ってワクワクしています!!



誰の練習も否定したくないし、これがイイ!だからアレはダメ。という様なことを言いたいわけじゃないです。


今の自分に合わせて。

アンテナを張り巡らせておけばどこで誰とどこで練習してようが色んな気づきが必ずあると思います♫



さぁ書くの頑張った〜!!!

それではまた!!