帰国決断までの長い道のり

今日はなぜか元気があるので帰国までの流れを書いてみようかなぁという気持ち。

今から思い出しながら描くから話が飛び飛びになるかも!

 

帰国までのことの発端はインドのロックダウンが決まったあたりからざわざわし始めました。

確か空港封鎖の日程が公表されてすぐ、周りの練習生がまずバタバタし始めてたり・・

それが確か3月20日以降あたりかな、正確には覚えてないけどその辺。

 

その時点での私の本来の予定は4/30日にゴアを出るチケットを持っていたのでまぁどうにかその頃には落ち着いてるんじゃないかな〜とか呑気に言って全然焦ってなかった笑。

 

その後数日ごとに長引くロックダウンと、持っていた帰りのチケットがキャンセルになり、帰りの予定が一旦白紙になった。

日本の状況もまだピーク真っ最中だった頃もあり、帰国しても仕事ないしゴアは感染者ゼロで安全。外出禁止だけど自然に囲まれて暮らせるゴアに入れるなら帰りたくないといい5/1日出発の便を予約。

 

...しかし数日後そのフライトもキャンセルになり、JALANA共に5/31までインドー日本間のフライト(直行便)を停止と発表。。

 

その情報を聞いてからやっと少しこれはまずいなぁあと思い始めたけど、まだゴアライフが最高すぎて生き生きしている自分を日本に連れ戻す気にならなかった笑。

 

もうこの頃はアジア周辺の国はセルフトランスファー(個人乗り継ぎ)を禁止になってたりで経由したかったタイに関しては、

入国前3日以内に医者に発行してもらった健康診断書

が必要だと聞いていたのでいつもみたいに経由して帰るのは難しい状況になってました。

シンガポールもマレーシアも経由できない状況で、もう帰国可能ルートを探すのも面倒だったのもある笑。

 

でも引き続きまだまだ呑気な私は、6月になったら直行便も復活するやろ〜と思い、また家族やらの心配そっちのけにゴアでの自粛生活を存分に満喫していました。

 

そう言いつつもこのあたりから一応、ムンバイにある日本の領事館と連絡を取るようになり日本へ帰る臨時便の案内もちょこちょこもらっていました。

手放しで浮かれて満喫していたわけではなく常に情報にはアンテナを張り始めていました。

遅いけど。。。

 

ただ問題が・・この臨時便、通常のコマーシャルフライトとは違って席は満席に出来ないし、日本からインドまでの片道は乗客がいない状態で来るわけだし航空会社も損失を防ぎたいからムンバイー成田まで片道12~15万円くらいするの。

めっちゃ高い!!!

理由はわかるけど、そんな余裕ないです...って感じだった。

しかもそれに上乗せて、ロックダウンで全ての公共機関が停止してるから肝心のゴアからムンバイを陸離で移動しなきゃいけなくて、、、584km,10時間、、、。

 陸路となると運転手と車を手配するか、タクシーを手配するかの2択。

タクシー運転手はもちろん誰も行きたがらない。理由は州を超えてムンバイに入ってしまうとゴアに戻った後2週間自宅隔離されるから。そりゃそうやんね、わかる..。

 

車を手配する方が見つけやすいと領事館に車の手配先の情報を聞くも、車手配の値段にびっくり。4〜5万してました。

 

でもだんだん帰れなくなりそうな雰囲気があったし、周りの練習生も次々に帰り出したり仲良しの友達の帰国予定も近づいてきたりとここで初めて一旦帰ることを決意・・・

が車のドライバーが突然キャンセルしてくると言った噂も入り、一番肝心のムンバイにたどり着く車がそんな不安定な状況では15万の航空券をパーにしてしまう可能性が高い...

それは無理!!と結局またまた数便臨時便を見送って行きました。

 

精神的に、毎回乗るか/乗らないか・・・そしてその選択がどのような結果に繋がるのか全く先の見えないコロナパニックの状況で本当に賭けのような気分になっていました笑。

 

高いお金払っていやいや帰国して、帰国後すぐに国際線復活です〜とか目にしたら、くそーもっと居れたや〜ん!!ってなったり・・・もしくは帰国のチャンスを逃して状況が悪化したインドにモンスーン期間閉じ込められて日本に帰りたいよーーーと泣くのか・・・?

 

とかどっちに転ぶか・・・えいっ!みたいな感じでいつも臨時便の案内が来るたび大決断でした笑。これが結構エネルギー使っちゃって毎度疲労困憊。

ちなみに他の国の練習生も皆似たような状況でこれ精神やられるねってみんなで話してた。

 

でもみんなゴアが好きで帰りたくなーいって人の集まりに最終的にはなってたのがまた楽しかったな。

 

そんな賭けを繰り返すうちに、しまいには意地でもインドがロックダウンを解除して国内線と国際線が両方復活して、ゴアームンバイを空路で移動し、ムンバイから日本へは臨時便でなく少しでも安くコマーシャルフライトで帰れるまで待ってやる!の気持ちで過ごしていました笑。ドケチ笑。

残念ながら日本に帰るのに20万払う価値が見出せなかったのも事実。

安全なのはゴアだし日本で今住んでいる環境は好きじゃないのに帰る理由は?と。。。

パートナーにはもちろん会いたいと思っていたけど、居たいなら好きなだけ居て楽しんで〜と言ってくれるのに甘えまくって居ました。自己中・・・。

 

でも5月中旬になってもロックダウン解除の兆しは見えてこなくて少しずつゴアにも感染してる人が出てきました。

それもこれも船や車でどうにかすり抜けてレッドゾーンのムンバイからゴアが安全だと聞いて避難しにきた人たちがいたから。その人たち全員感染しててゴアにも徐々に広がってきていました。

 

後もう一つ・・この辺りから雨季前の5月はもう毎日雨が降るまえのパンパンの湿気に30度超えの毎日でなんせ蒸し暑い。

体感温度指数は40度だったよ。。。(おかげで今毎日日本が寒くていつまでもレッグウォーマーとフーディーが手放せにゃい)

クーラーが苦手なもんで、エアコンなしの部屋で過ごしてたけど寝る前がもう暑くて寝つくのが1日で一番の大仕事でした。

 

水シャワー浴びてタオルで拭かずそのままファンの下に寝転んでクールダウンさせながら眠りにつきやすくするテクニックと霧吹きを冷蔵庫に入れて、寝るときに横において暑くて目が覚めたら体に水を吹きかけてファンでクールダウン。

このテクニックがかなり役立ちました。

 

今思い出すとこの時期の停電はまじで修行だったな・・・ファンもない炎天下の昼は家にいるともう耐えられないのでビーチでなんとか風を感じれるように避難するほど。夜は寝れない。外で風を感じようとバルコニーに出たら蚊に大量に喰われて次は痒くて寝れないなどなど。

イライラを抑えて落ち着く練習になりました笑。

停電多すぎて本当毎回、停電のたび叫んでた笑。 

 

加えて謎の胃痛と謎の湿疹にも苦しめられ続け、そろそろ帰国した方がいいなと本気で思い始めました。

 

とここまで帰国決断までの数ヶ月を書いててかなり疲弊してきたので数回に分けます笑。

あんまり長いと読むのも怠いと思うし♫

 

でも思い出しながらまたゴアにトリップしてる気分でちょっと楽しい!!!

インドのこと話す会計画しようかなと思ってる。勇気ないからわかんないけど。

 

では!